重いタイトルで ごめんなさい。
今日本中で 行方知れずのお年寄りや 事件に巻き込まれる出来事が 毎日のように続いています。
渡嘉敷島で生活していても 都心に身内がいる私にとって 痛感する問題になりました。
疎遠 隣は何をする人ぞ。
幼少期と違って 無干渉となりつつある 生活形態
沖縄でさえ 各人が それぞれ生活に追われ 冠婚葬祭でもない限り
親戚一同が 揃う機会が なくなってきています。
沖縄と東京 それぞれの老人ホームを 調べてみる機会が訪れました。
認知症になる年齢は人それぞれですが
施設で カラダの機能が衰え 人と人の会話もなく
1日がモクモクと流れていくのを 目の当たりにしました。
命の尊厳とは なんでしょう。
自分の『命』離脱決定権を 遺言という形で 終日選択が 叶うようにならないものかと つくづく思います。
延命措置をするしないではなく お薬等で 静かに永遠の眠りにつくような…
自分が老いて 社会に貢献できず 第三者に身を委ねる立場になったら どうでしょう。
勿論 間もなく90歳を迎えるも 元気に優しい 矍鑠とした ご年輩は別です。
仮に判断力を失い ただ生き続けるだけの時間がきた時
どんな希望があるというのか…。
家族を巻き込み 介護される側になる日
私達世代は 身内に甘んじる気持ちはないと思うのです。
全ての人に 訪れる現実問題。
独身なら尚更の未来図です。
第三者任せは 微妙な不安があります。
遺言が書ける内に 自分の命の決定権を叶える 法改正を望むばかりです。
朽ちて尚生きるのは 残酷に思えて…
将来をつくづく考えさせられる この頃です。
同感です。
私の祖母も生前認知症になり、自宅で介護していましたが、母が体調を崩してしまい施設に移ってもらいました。
家族全員が仕事を持ちながら、洗濯物を届けたり、病院に連れて行ったり、会話のなりたたない祖母に会いに行ったりしていました。
主に母の負担は、いくら家族、親とはいえ大変だったと思います。
私には子供もいませんし、年をとったら人の迷惑にはなりたくないと思います。
家族や自分の意思で決められたら、と思います。
ozonさん
数年先の日本を思うと、怖い位ですね。
以前は、気の合う者同士のお年寄りが楽しく暮らしてくれたら いいな。なんて気楽に思っていたんです。
とんでもありませんね。分からなくなっちゃうし、未来に希望が見えてこないのですから…
自分の最期は自分で決めたい。すべての人が等しく望むことなのになぜか論じることさえタブー視されているようです。医療従事者が家族の負担を考えて積極的な治療を打ち切りでもしたら殺人扱いされかねません。そろそろみんなで真剣に考える時だと思います。
自分の最期は自分で決めたい。すべての人が等しく望むことなのになぜか論じることさえタブー視されているようです。医療従事者が家族の負担を考えて積極的な治療を打ち切りでもしたら殺人扱いされかねません。そろそろみんなで真剣に考える時だと思います。
えみさん
お医者様は命を守るお役目ですから、法改正がない限り個人の命は守り続けられますよね。
恍惚になって生き続ける…アルツハイマーや認知症の改善薬が出たとしたら、尚複雑な社会になっていくようにも思います。
人口の多い団塊の世代の方々が、一足先に介護を経験されて、次なる自分の行く末に投石を投げる課題だと思います。